インターエフエムで毎週水曜日21:00から放送している「J LIVE RADIO」は、「仕事も遊びも本気!」なビジネスパーソンを応援するラジオプログラム。DJを務めるのは、株式会社サン 代表 プロデューサー / コネクターの田中準也さんと、Cステーション エグゼクティブプロデューサーの長崎亘宏です。毎回、各界で活躍するビジネスパーソンをゲストに迎え、「人生のステージ」についてや、「人生を楽しむ秘訣」をお伺いします。
8月13日のゲストは、株式会社SMASH代表の佐潟敏博さん。FUJI ROCK FESTIVAL '25(7日25日~7月27日 開催)の初日、オフィシャルラジオブースにて行われた公開収録の模様をお届けします。
*Podcastでもお聴きいただけます!
<ゲスト>

国内アーティストのライブ制作やプロモーション、FUJI ROCK FESTIVALをはじめとするフェスやイベントの企画・制作・運営に携わる。2023年に同社取締役社長に就任。
苗場の人々と共に歩んだフジロック。コロナ後の立て直しを目指し、社長就任を決意
田中:今回は、新潟県湯沢町・苗場スキー場で開催のFUJI ROCK FESTIVAL '25の会場から、公開収録という形でお届けします。さきほどまでざっと雨が降っていましたけど、今は綺麗に晴れていますね!
長崎:山の天気は変わりやすいですからね。
田中:それでは早速、ゲストをお迎えしたいと思います。
佐潟 :SMASH代表の佐潟です。よろしくお願いします。
田中:よろしくお願いいたします! 佐潟さんはSMASH入社後30年以上に渡り、国内外のアーティストのライブ制作やプロモーション、そしてフジロック や朝霧JAMといったフェスの運営に携わってこられました。2023年からは取締役社長に就任されたということで、今回はその「人生のステージ」についてお伺いしたいと思います。社長就任を打診されたとき、どのように感じられましたか?
佐潟:最初は、「僕で大丈夫ですか?」という気持ちはありました。創業者である日高正博の影響も大きかったので、心底不安でしたね。ですが、コロナ後の会社を立て直していく必要性を感じていたため、引き受けることにしました。
田中:佐潟さんは、SMASHに新卒採用で入られたんですかね。
佐潟:この会社は、新卒採用がそもそもないんですよ。僕はもともと音楽の仕事をしたいと思い、大学卒業後はレコード会社でアルバイトをしていました。そこでたまたま日高を紹介されたのが入社のきっかけですね。
面接も30秒ほど。「やりたいのか?」と聞かれて、「はい」と答えたら「じゃあやれ」と。たったそれだけでした(笑)。それが32年前。日高が45歳、僕が25歳のときですね。緊張して面接に向かったんですけど、30秒くらいで終わったのは驚きでした。
田中:そこから約30年を経て、社長に就任された時のお気持ちは「感慨深いなぁ」といった感じでしたか? それとも不安の方が大きかったのでしょうか。
佐潟:30年間、日高の存在が大きすぎて、そもそも日高が後ろに下がること自体全く想定してなかったんですよね。だから、就任は僕にとって想定外。ですが今振り返ると、コロナの影響が非常に大きかったかと思います。
長崎:2020年はやむなく中止でしたよね。会場のみなさんや、リスナーのみなさんのなかにも、その悔しい思いを覚えている方多いと思います。
田中:コロナを経て開催された今回のフジロックは、コロナ以前に戻った感覚ですか。それともアップデートしている感じでしょうか。
佐潟:2020年3月に中止を発表し、翌年2021年は、強行突破で開催したらものすごく叩かれて……。他のフェスもみなさんやろうとしていたのですが、気づいたら誰もやっていなかったという(笑)。その時の苦い思い出はありますが、あの時の経験があったからこそ、いま一度フジロックの立ち位置を含めて、改めてフェス全体を見直すことができたのだと思います。
当時はYouTube配信もしていたのですが、ステージ上から見ると観客が密に見えてしまい、それだけでクレームが入ることもありました。ちゃんと間隔を空けていたんですけどね……。
一方で嬉しかったのは、まちの人たちの応援です。「頑張ってやろうよ!」と後押しがあった。30年近くまちの人たちとの繋がりや絆があったからこそ、2021年は開催できたのだと思います。もし、まちのみなさんに「やめてほしい」と言われていたら、やめていたかもしれないですね。
長崎:私はフジロックビギナーなのですが、ゲートをくぐった瞬間に、ライブ会場に来た、というよりも「まちが広がっている!」と感じました。
佐潟:まさにそうですね。1999年にフジロックが苗場に移った時、運営の立場としても「まちをつくっている」と感じました。トイレや食堂、泊まる場所も確保しなければいけなかったですから。
長崎:しかも、その前年は東京での開催だったんですよね。
佐潟:あの時は社内でも「また東京でやればいいじゃん」という話はあがっていました。でも、日高が断固として反対して。みんな驚いていましたね(笑)。
1997年、富士天神山スキー場で行われた記念すべき第1回は、台風の影響で2日目が中止に。だからこそ翌1998年は「絶対に成功させたい」という思いで豊洲で開催しました。結果的に大成功だったので、翌年も東京で続けようという意見が強かったんです。でも今振り返ると、あのタイミングで苗場に移って本当によかったと思います。

ライブの熱気が原動力。「変化」を恐れず、常に新たな試みを模索
田中:社長就任時の話をもう一度聞いてみたいのですが、社長になったからこそ見える景色や思うことなど、変化はありましたか。
佐潟:変化しないとダメだなと思っていました。会社だけでなく、フジロック自体も変えていかないといけなければと奮闘していましたが、去年は就任後1年目ということもあって、なかなかうまくいかなかったですね。
ですが今年は、アジア各地の多彩なアーティストが出演する新たなステージ『ORANGE ECHO』をつくったり、ゴンドラに乗った先にある会場内で最も高い位置にあるエリア『Sky Grass』をリニューアルしたりと、いろいろ変化を加えています。今まで日高がやってきたことを尊重しつつも、新しいものをつくっていかないとフジロックも発展していかないとと思っています。
田中:新しいことを始めるときは、佐潟さんが言いだすのか、それともスタッフの方からボトムアップで上がってくるのか。どちらが多いですか。
佐潟:両方ありますね。でも、わが社の社員に限らず、フジロックで働いている運営の人たちも含めて「ここを改善した方がいいんじゃないか」という声があがってくるのは、非常に必要なことだと感じます。
田中:先ほど不安で悩まれた時期もあったというお話もありましたが、そのあたりは「日高さんならどうするだろう」とか、「これまでだったらこうするかな」とか、まさにファンの方の顔を思い浮かべながらビジョンを考えていたと思うんですけど……。
佐潟:そうですね。最初は日高の影響が非常に大きかったです。ですがそのうち、日高の真似してもしょうがないと思い、「変えていかないといけない」という気持ちになっていました。未だに「どう変えていくのか」はぼんやりしていて、模索中ではありますけどね。
田中:逃げたくなる瞬間はなかったのですか?
佐潟:早く辞めたい、と思う時はたくさんありますよ(笑)。
田中:ありますよね(笑)。僕も、創業25年続いた会社の社長となった経験があるんですが……。
長崎:非常に個性的な創業者から継承したんですよね。
田中:そう(笑)。日曜日の夜に『サザエさん』を見ると、会社に行きたくなくなるような50代でしたね。月曜日は経営会議があったんですけど、僕は経営会議とか絶対向いていなかったんですよ。なんとかできるようになりましたが、先ほど佐潟さんがおっしゃっていたように「同じことをしてもしょうがない」とは僕も思いましたね。
佐潟:そうなんです。僕と日高は全く違う性格だし、真似してもしょうがない。ですが、「精神」っていう部分に関しては日高をリスペクトしてるので、それを心の中に留めながらっていうところはありますね。
長崎:先ほどSMASHに入られたのは「レコード会社でのアルバイトがきっかけ」という話がありましたが、そもそもなぜ音楽業界に飛び込まれたのでしょう。
佐潟:音楽の仕事したいとぼんやり思ったのは、高校時代ですね。音楽の仕事をしている人たちの横に立ちたい、携わりたいっていう一心だったので。
田中:まさに、SMASHに入社して横に立ちたいという思いが叶えられたのかと思います。SMASHという会社の存在もそうですが、ここまで続けてこられたモチベーションはどこにあるのでしょうか。
佐潟:ライブですね。僕たちはステージ側から客席を見るのですが、お客さんが盛り上がっている姿を見るのは本当に心地いい。エキサイトするし、気持ちも上がります。お客さんがライブに来て踊りながら楽しんでいる姿を見ると、「この仕事をやってよかった」と思います。

アジアの音楽シーンを見据えながらも、磨き続ける「フジロックらしさ」
田中:今年のフジロックについても伺ってみたいのですが、円安の影響もあり、コロナ以降ブッキングなど非常に苦労されることは多いと思います。毎回どのように「フジロックらしさ」を保たれているのでしょう。
佐潟:まず、感覚的なところ。僕は、フジロックのメインステージである「GREEN STAGE」の制作をずっとやっていたのですが、その時にいつも思っていたのはYouTubeやライブ映像を見たときに、「GREEN STAGEに立って演奏している姿がイメージできるアーティスト」かどうか。その感覚は今でも大切にしています。
もちろんマーケットのことも考えて人気のバンドを呼んだりもしていますけれど、「この人たちがこのステージに立ったらいいだろうな」と感じるアーティストに関しては、売れている売れていないに関わらず積極的に出演オファーしていきたいと思っています。そこはこれからも、フジロックのこだわりとしてやっていきたいところですね。
長崎:今回フジロックのステージを見て感じたのは、単に「ステージとアーティストがある場」ではないということです。自然があって、雨が降って、マーケットプレイスもある。そうしたすべてがフジロックを形づくっていて、目に見えているもの以上の“何か”があるのではないかと。
佐潟:そうですね。なかなかない環境のフェスだと思います。僕もよく日本のフェスに行きますし、仙台の「ARABAKI ROCK FEST」は似たような雰囲気があるなと感じています。ですが、これだけの自然の中で夜通しライブができるのはフジロックの最大のポイントであり、魅力だと感じています。
田中:ですが、このフジロックのテンションを維持していくためにも、多くの苦労があると思うんです。事故などが起きないようにスタッフの方々はものすごく気を使われていて。
長崎:しかも、ボランティアの方が多いんですよね。
田中:それこそ、まちぐるみでこのフェスを成功させようとしている。安全な場所を提供していこう、というみなさんの強い思いを非常に感じます。
佐潟:そこは、苗場で26回目の開催ということもあり、地元の人たちとの関係性もあると思います。地元の若い子が参加してくれたりもしているので、我々も世代交代していかなければと考えていますが、長年の積み重ねで上手く開催できているなと。
田中:まちづくり、場づくりを時間かけて準備されてきたじゃないですか。地元の方が手伝って木道を直したり……。
佐潟:会場の足場になっている「苗場インディペンデンス・ボードウォーク」ですね。これも年に3回ぐらい手直ししています。そこには地元の人だけでなく、フジロックのファンが遠くからも手伝いに来てくれるんですよ。ボードウォークも、フジロックの魅力ある1つのアトラクションだと思っています。
長崎:来年、2026年はフジロック30周年を迎えます。佐潟さんが考えている30周年、そして未来に向けたビジョンを、ぜひ語っていただきたいです。
佐潟:正直、ビジョンはないんです(笑)。ですが、1997年から始まり紆余曲折をへて至ったフジロック30周年は、ある意味一区切りだと思っています。区切りの付け方をどうするかはまだぼんやりしているんですけどね。それでも30年を区切りとして、「これからどうフジロックを発展させていくか」を、自分の社員、関係者も含めて話し合っていければと思います。
田中:今年のフジロックで感じましたが、アジアのアーティストやお客様が以前よりずいぶん増えているのではないでしょうか。アジア全体から見たフジロック、あるいはアジアのミュージックシーンについては意識されているのでしょうか。
佐潟:アジア全体で音楽シーンを活性化していかないと、今後フェスを続けていくのは難しいと感じることもありますね。円安の影響もあり、海外アーティストが「日本だけで公演する」というのはなかなかハードルが高い。例えばフジロックの翌週に韓国で開催される「ペンタポート・ロック・フェスティバル」へとつながっていく流れがあったり、日本のバンドがアジアに出ていったり、逆にアジアのバンドがフジロックに出演することも増えています。そうしたアジアの音楽シーンは強く意識していますね。
田中:フジロックの3日間はお忙しいと思うのですが、フジロックが終わったら、少しはお休みできるのですか?
佐潟:この後、すぐ別のライブがあるんですよね(笑)。でも、そのライブが終わったら、週末は休もうかなと。ちなみに、週に1回はテニスをしています。
田中:素晴らしいです! では最後に、そんな佐潟さんに「人生のパワーソング」を1曲選んでいただきたいと思います。このフジロックの会場で、曲紹介をお願いします。
佐潟:RCサクセションの「ドカドカうるさいR&Rバンド」をかけていただけたらと思います。
先ほどいきなり質問されて、「1曲をそんなすぐ選べない!」と思ったんですけどね……(笑)。でも僕は、高校時代にRCサクセションやザ・ストリート・スライダーズなどの日本のバンドを聴き、音楽の仕事に関わりたいと思うようになったんです。それに、忌野清志郎さんは今年デビュー55周年という節目でもあるので、この1曲をぜひお届けしたいと思います。
<M>
RCサクセション「ドカドカうるさいR&Rバンド」
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<DJ後記>
田中:さあ、エンディングです。
長崎:あっという間でしたね!
田中:ノブさん、どうでした。
長崎:正直緊張しました。だってビギナーだもの。そんな僕らが話してよいのかと。
ゲストはまさかの代表・佐潟さん。
田中:でも、楽しかったですね。今日の学びを一言で言うとどんな感じですか。
長崎:「フェスの未来がここに」です。フジロックはまさに30周年に向かっている。ご自身はかなり謙遜されてましたけど、未来へのヒントをたくさん話されてたと思うんです。アジアへの意識や、新たなチャレンジをやってみたとか。これはもう間違いなく、未来の形が見えてるんじゃないかなって思ったんですね。なので、元祖フェスであるフジロックだからこそ、私が感じたのは、フェスの未来がここにと。
写真左から、DJジュンカム、インターエフエム西井さん、東海林さん、DJノブ、Cステーション川崎
DJジュンカムこと田中準也:
フジロック会場からの公開収録というシチュエーションにすこーしビビっておりましたが、優しい佐潟さんとinterfmのスタッフの皆さんのおかげで無事にインタビューできたことを大変嬉しく思います。淡々とお話しされながらも信念を持ち、多くの仲間とともに成功に導く佐潟さんにプロフェッショナルとは何かを教わった30分でした。来年はフルで参加するぞー!
DJノブこと長崎亘宏:
人生初の「FUJI ROCK FESTIVAL」。佐潟敏博社長は初対面でしかも、初めての公開収録ですから、ある意味で無茶なチャレンジでした。にもかかわらず、佐潟さんはざっくばらんに、全てのビジネスに通じる知見を惜しみなく語られました。明確なビジョンがあるからこそ、アーティスト、観客、スポンサー、メディア、そして、地域のボランティアの皆さんまで、同じ「熱狂」を共有できているのではないでしょうか。
遅まきながらのフジロックデビューでしたが、これからは毎年恒例にしたいと思います!
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